おさしづ配信

大きな心持って何でも

おさしづ配信

大きな心持って何でもという。小さい心いずむ。普請小さくては皆寄り来る処ある。これだけ出けたる、皆満足する。一名二名でなく、互いという。(明治25・12・24)

普請に限らず、一切が心どおりに成ってくるのだから、大きな心持ってかかることが必要です。いずむのは小さい心だからと思って、大きな心になり、明るく陽気に勇んで通れるよう、常に努力することです。
それにはちっぽけなわが身思案を放って、親神様の懐に飛び込み、おまかせし、もたれ切ることです。神様と一心同体とまではいけなくても、それに近づく努力はできるのだし、一心同体の時間も増やせるように頑張ることです。
「やれふしや/\、楽しみやと、大き心を持ってくれ」(明治27・3・5)というおさしづもあります。ふしが大きいと、芽も大きく出ます。先が楽しみです。
徳のある人は厄年から良くなるのですね。厄年というふしから倒れる人が多いのに、厄年から反対に良くなっていくのです。
それは、どんなことも良いほうに良いほうに受け取れる人だからです。日々常々その心で通っていれば、ふしからふしから芽を出せるのです。むしろ、ふしがないと芽を出せないので、ふしを楽しめるわけです。
イギリス人の詩人シェリーは、「冬来りなば、などか春遠からん」とうたいました。冬が厳しく寒くつらいほど、春の到来が楽しみになります。
せっかちな急ぐ心を捨てて、大きな心になって、先を楽しむ心になり、今の苦労難儀を喜ぶようになれるといいですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)