おさしづ配信

皆旬があるで

おさしづ配信

「出けるよう成ったんは、何か無しに成ったんやない、皆旬があるで。」(明治32・3・2)

春まく種を秋にまいても、秋まく種を春にまいても、ものになりません。種だけでなく、この世のあらゆる一切のものには、それぞれ与えられた旬があり、それを逃さないように生かしていくということ、実に大事ですね。成功するための基本の一つですね。
努力さえすればよいのでなく、努力の方法も大事ですが、旬を外さないということが、それ以上に大事ですね。骨折り損のくたびれもうけが、実際にどれだけ多いことか。実に無駄な努力が、世の中には至るところに見えています。
にをいがけ、おたすけにも、旬を外さないということが実に大事です。鉄は熱いうちに打てと言われますが、人間だって同じことですね。いったん冷えてしまうと、もう金輪際どうにもならんという人がいっぱいます。
Hさんは娘さんが九歳の時に日本脳炎になって、もう硬直し始めた時、必死になって、ちょうど拝戴して間もないおさづけを取り次いだのでした。これは、直接Hさんご自身から聞いていたのに、昨夜話をしていると、おさづけを取り次いだのかどうだったのか、記憶にないとおっしゃるのです。
「あれが最初で最後のおさづけかもしれない。以来取り次いでいません」と、それから何年もたっていないころに自分で言っていたのに、今になって記憶がないとは、忘れっぽい人だなあと思いました。
Hさんは当時、「おらみたいな者があんなことやったぐらいで、本当にたすかったのだろうか」というとまどいもあったようで、信じかねる思いもまじっていたのでしょう。それにしても、疑うよりも現実にたすかった姿に感激して、どんどんおたすけに、にをいがけに、お話をすればよかったのに、その旬を外してしまったのでした。
奇跡的ご守護の直後でさえ、とまどいもあって、堂々と話せないでしまって、本当に惜しいことだったなあと思います。
おさづけの理には、教祖五十年の深い思いがこもっています。だれかれの区別なく、その拝戴の日の、人をたすけたい真実誠だけを受け取ってお渡しくださる宝です。
過去どんな道を通っていようと、心を改めて、人をたすける心になりさえしたら、重い軽いの区別なく渡してくださるのですから、この世と人間をお創りくださった親神様がそれを通してお働きくださるのですから、どうぞ皆さん、しっかりおさづけを取り次いでください。旬を外さず取り次いでください。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)