おさしづ配信

人間心

おさしづ配信

「子供のする事が、をやは今まで見て居た聞いて居た。なれど、人間心の理が栄える。それでは見て居られん。」(明治25・11・19)

人間心とは、神様のみ心にピタッと添えない心のことで、素直になれない心、逆らいたい心、疑い案ずる心、勝手の心、わが身かわいい心でしょう。その人間心が栄えて、はびこれば、神様が見ていられなくなると言われます。そうなると、
しやんせよをやがいかほどをもふても
神のてばなれこれハかなハん(おふでさき一号61)
というお言葉もあるように、神の手離れで、身の内の守護が切れてしまっては、生きていくことさえできなくなります。人間心というやつは、しぶといものです。日々、心の成人に努めていても、なかなか消え去るものではありません。人間一代だけでなく、二代、三代、と代を重ねて、消す努力をすべきなのでしょう。
人間心をなくすには、自分を捨てておたすけをするのが一番です。わが身どうなっても人をたすける心、これが人間心をなくしてくれます。おたすけでも、死線をさまよう容態の人のおたすけにかかるには、全く自分を捨ててしまわなければなりません。
人をたすける場に身を置くことが、人間心に負けないようにするには大切なのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)