おさしづ配信

空の理を楽しむ

おさしづ配信

「人の出世楽しんでくれにゃならん。ほんにこれでこそ道の理かと、楽しんでくれてこそ道であろ。人は出世怨み嫉みは道でない。空を見て、空の理を楽しむなら、日々近づく理である程にある程に。」(明治32・2・2)

ここの「出世」は、地位が上がるだけでなく、神様に受け取っていただく理の出世も意味していると思われます。人の出世を心から喜べる心、そしてやがて順番が回ってくると喜ぶ心、この心がないと、お道の人とは言えないようです。
ある人が戦時中、隣の家に贈り物が届くと、何一つ分けてくれずに自慢されるだけなのに「ありがとうございます」とお礼を言うので、子供たちが不思議に思って尋ねました。そのお母さんは、「そのうちお前たちもこうなる日が来るよと、神様が見せてくださったので、お礼申し上げたんだよ」と答えました。
心どおりの守護ですから、そんな心を常に使って喜んでいると、いつか必ずそのとおりになってくるものです。お道の人は、こんな時は理納め(お供え)してお礼申し上げておくくらいになりますと、余計確かに成ってくるものです。欲でやるのでなく心から喜ぶ、その心の裏付けとなるのです。悪い前触れを悟らせていただいた時も、喜んで理納めして、少しでも理を消すお願いをしておくと、大難は小難、小難は無難とたすかっていくものです。
空丸分教会の初代会長、藤田雄士先生は、一生懸命おたすけに励んでも片っ端から死なれ、その数もとうとう三十数人に達した時、さすがに意気消沈し、自分はおたすけ人の資格が無いのではあるまいかと考え、いっそのことやめてしまおうかとまで深刻に悩みました。その時、『おさしづ』をめくってお諭しを求めたところ、このおさしづにぶつかり、「日々近づく理である」というお言葉に励まされ、勇気が出、心機一転したのでした。それからどんどんご守護が頂けたのでした。この「楽しむなら」に注目してください。
教会設立まで、努力しても努力しても丸っきり空っぽのような時代が何年続いたのか分かりませんが、その当時の苦労があっての今日であることを忘れぬため、名称を空丸分教会としたのでした。この藤田先生のように、三十数人に死なれてもへこたれずにやってみようという人が、続々と出てほしいですね。
教祖は五十年のひながたを残されましたが、「五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。…僅か千日の道を通れと言うのや」(明治22・11・7)と言うお言葉もあります。なかなか教祖のようなご苦労は三年でも通れないのかもしれませんが、僕はそれに近づくなら七年、普通並みで十五年は貫いてほしいなと思います。
あとはやらんでよいのではありませんが、一つ実り始める楽しみが頂けると思います。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)