おさしづ配信

よそ事言うてはならん

おさしづ配信

「道というは、いつまで一つの道、何程尽くしたとて、よそ事言うてはならん。誰はどうという事は、これは要らん。」(明治30・12・8)

人間というものは、つい自分と他人を比較して、あの人はこうなのに、とか、あの人と比べたら私は…とか言いたくなるものです。
お道は、自分自身の心のほこりを払う道であって、決して他の人のアラを探したり、それをどうこう言うのは必要ないのですね。おたすけの上で、相手に諭さねばならぬ場合も、自分自身に言い聞かせるつもりで申し上げるのが本当でしょう。
おたすけの場面では、そうした諭しを、大ぜいの人がいる中で相手に言ってはいけない場合もありますが、むしろ言ってあげることによって、相手が上手に受けてくれてたすかる場合もあります。相手には恥をかかせることにもなりますが、そのお陰でたすかることがあるのです。
おたすけする側も同じです。
いつもわらわれそしられて
めづらしたすけをするほどに(みかぐらうた 三下り目五ツ)
と教えられますが、人に笑われたくない、そしられたくない、バカにされたくない、と思ったら、おたすけはできません。また、相手にもたすかってもらえないでしょう。そのために、この道を通るには、一つの方向を貫く姿勢が必要です。
借金のない人に借金取りは来ません。困ったことに出合うのは、自分にその種があるのですから、その種を見つけ、掘り起こし、早く抜き取らねばなりません。自分がまいた種は、自分で取り去るしかなく、人の分までやることはできません。また、人に代わりにやってもらうこともできません。
自分のことは棚に上げ、人のことをとやかく言う人は、その人の心のほこりまでかぶることになりますから、気をつけねばなりませんね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)