おさしづ配信

縁談

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「縁談事情は、一度定めた理はいついつまでと定めば、治まらんやない。内々順々理を十分随分治まる。」(明治25・2・22)

一度定めても、もっと良い話が出てきたり、過去の傷が聞こえてきて、破談になる場合もあります。友人同士、親同士が賛成し、だれ一人反対がないなら、これは結んでよいとされますが、一人の反対があってもやめた方がよいこともあります。
本当の良き縁談は、第三者が二人にすすめ、本人もよし、親もよし、両方の家族もよし、となるものなのです。本人同士が好き合ったものはいんねんどおりになりますが、だれかが間に立つのは自然なので、天然自然、成ってくるのが一番良いのですね。
縁談というのは妙なもので、好き合って一緒になったほうが、見合いで一緒になったほうよりも三倍も離婚しているらしいのです。これは三、四十年も前の統計ですが、現在は四倍も離婚しているかもしれませんね。
縁談は最初の縁談が一番いいようです。選べば選ぶほど値打ちが下がるのが普通でしょうね。ところが多くの人は、もう少しましな人がいいな、と、ついつい思いやすいのですね。そして、前のほうがよかったな、と後悔するのが落ちでしょうね。逃した魚は大きい。やっぱり低い心が得なのですね。高慢が一番邪魔になるのですね。
ソクラテスの妻ザンチッピは悪女の典型でしたが、ソクラテスは“この女とうまく暮らせるなら世界中のどんな人ともうまく暮らせる”と、ザンチッピを選んだと聞きます。このソクラテスのような心なら、どんな縁談もうまく成り立つでしょうね。なかなかできることではありませんが、ソクラテスの爪の垢を煎じて飲ませたい人が多すぎますね。
こんな人もいたのだと知ることによって、“あまり高望みはしないようにしようじゃないか”と、自分自身に言い聞かせる人も増えるかもしれませんね。
相手を選ぶよりも、自分自身に徳があれば、相手は必ず良いほうに変わるものです。反対に、相手がいくら良くても、こちらに徳が無ければ、釣り合わぬは不縁の元、となるのですね。
ですから、相手よりもまず自分がしっかり徳を積むほうが先決ですね。そのように子や親にしっかり教えること、実行させることですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)