おさしづ配信

順序一つ,何人一つの理

おさしづ配信

「さあ日々順序一つの理が第一である。」(明治22・2・21)

年の順は長幼の序とも言います。経験年数や信仰年限、あるいは成人の順、立場や席次の順、成ってくる道筋等、いろいろあります。日々常々親しき仲にも礼儀が必要なように、順調一つを守ることが、理を立てることでもあり、理が立っていく上には大切な心得となります。

「何事するにも運ぶにも、何人一つの理結んでくれ。どれだけ安心取り損うても、一つの理に運べばこれが天の理。道である。」(明治40・2・21)

一手一つの心がいかに大事か分かりますね。心が合うこと、そろうこと、「これが天の理」とも、「道である」ともおっしゃっているので、実に大事ですね。夫婦の間、親子の間、兄弟姉妹の間、あるいは信者一同、住み込み者一同、あるいは会社中が、地域中が、町も村も市も国も、一手一つの心になれなかったらうまくいかないのは、はっきりしていますね。
お道は、世界一れつ陽気ぐらしを人類の生きる目標としています。一れつとは一手一つということでもあります。どうしたらそこへ行けるか、ということになりますと、めいめいが自分中心に考えると合わなくなるので、おつとめのおうたに「ちよとはなしかみのいふこときいてくれ」とありますように、親神様のおっしゃることを定規として、それを中心としてこそ、世界中のあらゆる人間の心が合うようになるのですね。
お前さんも神様の子供、私も神様の子供、だから神様を真ん中にして、神様のおっしゃることを聞きましょう、となってこそ、世界中の人間の心が一つになれるのですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)