おさしづ配信

立てば立つ

おさしづ配信

「立てば立つ、こかせばこける。これ一つ天の理という。この理を心得ば、何一つの難も無いという。」(明治25・2・20)

お道では、理を立てるということがやかましく言われますね。愛町分協会は特にそうかもしれません。愛町は理が立つ、とよく言われます。それは神一条の理を立てるからで、すなわち親神様の思召を重んじ、その親心に応えよういうことを第一とするからです。だからこそ神様がお働きくださるのですね。
人の長所を見て、その人を立てていけば、その人は長所を十分発揮できるけれども、人のアラを見て不足すれば、その人が十分に働けなくなります。お道は良いとこ取りの信仰とも言われます。おたすけに行っても、日々だれと接しても、相手の良いところを見ていけば何でもうまく行きます。欠点を見ればうまく行きません。心一つですね。
おたすけ先が鏡になって、己自身のいんねんを見せてくれます。仮にたすかってもらわなくても、それだけでありがたいことになり、悪いんねんが少しでも減るのですから、おたすけに出ることです。毎日欠かさず出るようになり、三年五年と続き、十五年もすると、何か一つ実り始めるでしょう。
それから先は楽しみが増えていきます。それだけの種を毎日まいてあれば、天然自然に成ってくるはずなのです。毎日収穫できる日が来ることになります。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)