おさしづ配信

悪を善で治め

おさしづ配信

「世界の悪は皆あちらの悪こちらの悪皆寄せ、あちらへこちらへばらばら。とんと一つ悪を定めて道が付いた。悪を善で治め、たすけ一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けてしまう。」(明治22・2・7)

黒は黒、白は白、悪は悪、善は善と、分けて対立的にとらえるのが世間一般の見方です。一度レッテルを貼られると、なかなか取れないものです。
ユダヤ教でも、歯には歯を、目には目を、という対立的見方をして、それでよしとしていたのでした。そこにキリストが現れて、汝の敵を愛せ、と、発想の転換を説いたのはさすがでした。いわば、「悪を善で治め」とおっしゃったようなものです。お道ではさらに、敵を味方にする道になっています。対立を超えた次元です。
一般にヨーロッパ文明の基本は、対立と分割の二元論であったと言って良いでしょう。分割と対立からは戦争が起こりやすいでしょうね。それに対して東洋は、農業が主体であったので、自然と二つ一つの生き方が必要でした。人間と自然が対立するのでなく、共存の、たすけ合いの生き方が必要でした。そのように、善と悪が対立するのでなく、「悪を善で治め」とおっしゃっています。
悪だらけの人はありません。善だけの人もありません。一般社会では、法律に触れなければ善であり、触れたら悪であるかのように思っていますが、八つのほこりの心というものは、法律に触れなくても悪の根源となります。
神一条の立場からは、わがためと思うのが悪で、人のためにと思うのが善であります。どちらの心も、だれの心の中にもあります。どちらが多いか少ないかだけの違いです。対立しているのではなく、どちらにもなり得るものです。
悪い人の中にも善いところがあるので、その善いところを強めていけば、悪を善で治めることになります。善い人も悪く取れば、悪くなります。悪い人も善く取れば、善くなります。心一つなのです。
政治家が、国家社会のためと言いながら私利私欲に走る場合、これは明らかに悪です。だまされてはいけませんね。
心の底で善と悪とが闘って、常に悪に勝てるようになってこそ、運命も変わってくるのですね。毎日はいんねんとの闘いです。さあ、今日もまたいんねんに勝てるように頑張りましょう。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)