おさしづ配信

一度定めた理は末代の理

おさしづ配信

「道のため教一つの理を聞いて定めた精神一つの理は末代という。この理をしっかり心に治め、辺所立ち越す処、勇んで勇んでどういう事もこういう事も、一度定めた理は末代の理という。」(明治30・7・16)

明治二十九年の内務省訓令を機に、国内ではたいへん布教がしにくくなりました。それならば海外へ、と、山名大教会初代会長・諸井国三郎さんは布教線を転換し、節から芽を出したのでした。このおさしづは、その台湾布教へ出かけるに当ってのものです。
「一度定めた理は末代の理」。何が何でもやり抜く、という不退転の精神。これがあれば成らないことはないでしょう。台湾にまかれた種は、戦争があっても消えることなく、今日に連綿と続いて芽を出し、花を咲かせています。
韓国にも、たくさんの信者がいます。これも戦前にまかれた種が、消えることなく続いて花を咲かせているのです。先輩たちの精神と実行のたまものと言えるでしょう。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)