おさしづ配信

義理は要らん

おさしづ配信

人間の義理は要らんで/\。すっきり要らんで。人間の義理ばかり言うて居るで、こんな事が起こるのや。(明治24・11・5)

「こんな事」とは、初代真柱様の兄である松治郎氏の出直しのことで、梶本家にとっては重大なことでした。
神様への義理以上に人間社会に対する義理に重きを置いて、結局いんねんどおりに出直していった人はかなりいます。すぐに結果が出なくても、十五年二十年たつとはっきり出てきます。
生命が迫った時はどんな人間に頼っても駄目で、生命と身体を貸してくださっている親神様に頼らねばならないのですが、その日迫ってからでは間に合わないのです。
人間の心というのは揺れ動くもので、いずんだり、避けたり、嫌ったり、逃げたり、迷ったりするわけです。それがたまってふしに出合うと、困る元になります。
人間の義理を思うがためにほこりを積むことが多いでしょうね。ですから神様は、その義理を病む心を、悪気ともおっしゃっています。神様を軽くしてそっぽを向くと、困った時、人間ではどうにもならない時に、神様にそっぽを向かれるのですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)