おさしづ配信

難儀が結構、苦労が財産

おさしづ配信

「日々心が変わるようでは諭されん。諭すとは言えん。道が大事、これまで艱難苦労の道が大事。一人でも聞き分けてくれ。あちらもこちらも、ふわふわのようでは、どうして働けるか。あちら持っても頼り無い、こちら持っても頼り無い。これでは十分の道通れるか通れんか、聞き合わせてくれ。」(明治30・2・19)

親神様が人間を創造される時、たくさんのどじょうの中にうをとみとが混じっているのを見て、その一すじ心なるを見澄まして、人間の種とされました。ですから、人間が人間として存在できるのは、この一すじ心によるので、これがないのは人間じゃないということになります。
お道は誠真実を最も重視します。変わらぬが誠、とも言われます。ちょっと思うようにご守護がないと心変わりする人、苦労艱難の前にへなへなとなる人、誘惑を断れずに負けてしまう人、損得でころりと変わる人などいろいろですが、変わらぬ心を貫けてこそ、誠の人と言えるのでしょうね。
僕が学生時代、東京から初めて愛町分教会へ参拝したころ、初代会長様は「難儀が結構、苦労が財産」のお話をずっとなさってくださいました。「お前さんは苦労せんで通れるよ」とおっしゃってくださったのに、「僕は苦労がしたいのです」と申し上げたら、にこっとなさって、そのお話をしてくださったのでした。ある日の朝づとめか夕づとめの後でした。
一すじ心とは、変わらぬというだけでなく、陰日なたのない正直な人であることも意味しますね。嘘のある人は誠の人とはもちろん言えないのだから、当然一すじ心の人とは言えず、したがって人間でないということになります。
本当の人間へと成人するには、わが身わが家のことを忘れて、人をたすける心になることによってしか成人できない、と言ってよいでしょうね。変わらぬ誠で貫かねば、人はたすかってくれません。おたすけの中でも、医者薬で難しい人に、おさづけを取り次いでたすかっていただくこと、これが一番ですね。
本当に人をたすけてこそ、自分がやがてたすけられていくのですね。常に神様にお連れ通りいただいている、お働きいただいているという感謝と喜び、これが陽気ぐらしの基礎ですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)