おさしづ配信

理を台として

おさしづ配信

何でも彼でも理を台として立てヽ行く。理に向かわんよう、逆らわんよう、これだけ治め掛けたらどんなことでも治まる。(明治28・10・11)

理とは何か、実にいろいろの意味に使われているので、まぎらわしいかもしれません。
まず、「天然の理」「天然自然の理」という場合は、宇宙の根本的理法、原理、法則、「天理」とか「天の理」という場合は、宇宙を貫く不変の真理を意味すると考えられます。
「成ってくる理」という場合は、事実を事実たらしめる道筋、理法、ことわりのこと。「善い事すれば善い理が回る」などの場合は、現象の奥にあって、現象を現象たらしめているもの。
「救けたい理」「ぢばはじめた理」の場合は、親神様の思召とか思惑のこと。「日々に理を忘れて理が立つか」などの場合は、親神様の働き、守護、摂理。
「順序の理」の場合は、筋道。「世上の理」「世界の理」の場合は、社会的秩序、道理。「教祖一つの理」「存命の理」では、人の歩むべき規範。「元々の理」では、いんねん。「理がある」「理がない」では、徳とか実績の意味にもなります。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)