おさしづ配信

教祖の理を思え

おさしづ配信

「これまでの処何ぼ働いたて、暮れた教祖の理を思え。存命の間楽しみの理もなく、理を見ず暮れた教祖の理を見よ。働けば働くだけ、めんめん心に誠さえあれば踏み損いは無い。これ諭したら分かるやろう。働いたら働いただけ、これから見えるのや。」(明治30・12・23)

案じてはいけない、迷ってはいけない、と知りながら、人間というものは、節に出合い、それが度重なってくると、ついつい案じたり迷ったりするものです。
そこで、教祖を思い起こせと言われます。教祖の五十年のひながたの道を思えば、どんな難儀苦労も、ものの数ではありません。
年限が経てば、誠を尽くしただけ、ちゃんとその理が見えてきます。
しやんして心さためてついてこい
すゑハたのもしみちがあるぞや (おふでさき 五号24)
と言われます。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)