おさしづ配信

積んだ理が光る

おさしづ配信

「年限無くばあたゑと言えん。年々理によって理回さねばならん。積んだ理が光り、心が年限経てば、これだけ与えて貰うたという。年限通らにゃならん。…これから万事楽しめば、又楽しみの道がある。」(明治32・8・21)

年々、お道のために積んだ理は光ってくると言われます。年限を重ねることの大切さを諭されていますが、何年やったらいいのか。私は、ひとまず十五年は積み上げるべきだと思いますね。自然界では種をまいてから実るまで、さまざまですが、この道では十五年を一つの区切りとするといいでしょう。
その年限が経たぬ前に腰くだけになってしまったら、勤めたことが無駄になり、大変な損になります。どうでも、やり抜いてみることです。教会住み込みもそうですし、おたすけでもそうです。
酒やタバコ、ギャンブルなど、好きなことが嫌いになる、また、嫌いな人が好きになるにも、十五年は続けて努力してみることです。おたすけに当たって、好きな酒一つ、タバコ一つがやめられないというようなことでは、話になりません。嫌いな人や、敵があってこそ、自分を変えてくれるのです。
人の嫌がることほど、喜んでさせていただくと、先の楽しみとなります。何事も楽しめる人になってこそ、お道の人ですね。陽気ぐらしをしている人ですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)