おさしづ配信

水のあたゑ

おさしづ配信

「さあさあ水々、水のあたゑ、さあさあ水のあたゑは、心一つ、人一つ、人一つの理による。」(明治22・8・27)

農家では、水の与えがなくて田畑が干上がったら困りますが、水が多すぎてもまたいけません。心一つに水の与えが頂けるのですね。
水の心とはどんな心でしょうか。
水は第一に、低い所へ、低い所へと流れます。また、方円の器に随うとも言われます。どんな形のものにもピタッと入ります。
低い心は、喜びの心でもあります。一番低いところに身を置けば、一切が喜べます。感謝できます。愚痴や不足の出るのは、心が高くなっている証拠です。
お道の人は三「マン」をお供えしなさい、と言われます。一つは自慢、二つ目は高慢、三つ目は不満(我慢と言う人もあります)です。
水は掃除、洗濯になくてはならぬもので、自分が汚くなって相手をきれいにします。そして、用が済んだら捨てられます。この心が持てたら、そしてこの心が世の中に及んだら、争いごとはなくなるでしょう。
水のお与えを頂くには、神様の理を立て切って通ることも大切です。
みづとかみとはおなじこと
こころのよごれをあらひきる(みかぐらうた 五下り目3ツ)
と教えられますが、おたすけは心の汚れを洗い切る務めだから大切なのです。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)