おさしづ配信

なるほどと言わすが誠

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「ただたすけ一条の心治め、人を救けるは誠。睦まじが第一。成程あの者心は天の理に適う、成程と言わすが誠。誠が天の理い。内々話する。ほんになあ、と言うて、心の勇むる理がある」(明治21・2・5)

見返りを求めず、たすけたい心だけの人は誠の人ですね。
「睦まじが第一」ともおっしゃっています。どんな人とも仲良くなれる人になってこそ、どんな人もたすけることができるのですね。
表から見て立派でも、陰から、裏から見ればそうでないという人では、誠の人とは言われません。人が居ようが居まいが少しも変わらず通れる人、この人も誠の人ですね。周囲の人になるほどと言わせる人もまた誠ですね。
誠の人の言った事は、ちゃんと成ってくるのですね。誠を積み重ねていけば、そこまで行けるのです。だから、一日も欠かさず、楽しみに誠を重ねていくことです。ただたすけ一条に心を治め、人をたすける心になっていくのです。
その結果、売りたいものは買いに来る、買いたいものは売りに来るというように、一切が自由自在になるのですね。愛町の初代会長様はそんなお方でした。
それをまねたら、だれでもやがては、年限たってそこへ行けるのです。だが、少なくても三、四十年は、やり切る必要があるでしょうね。できれば五十年、そのぐらいたたねば、そこまでの自由自在はなかなかと言うべきでしょうね。
それも、道一条となって教会なり布教所へ住み込まなければ、なかなかそこまで行けないでしょうね。どうしても家はいんねんの場所であり、勝手や都合に流れやすいので、癖性分が変わりにくいでしょうね。
形は道一条になっても、心も神一条になるまではしばしかかるし、そうなれても、十五年、二十年たってみないと、実りもないかもしれないのです。心一つです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)