おさしづ配信

世界は鏡

おさしづ配信

「人間はかしものやかしものやと聞かしてある。世界にはいかなる事も皆映してある。それ世界に映る。世界は鏡や。皆々めんめん心通りを身の内へ皆映る。前生の事もどうなるも、皆身の内へ映すと聞かしてある。たんのうと。いかなるもたんのうと。」(明治22・2・4)

単なる病の諭しだけでは不十分で、病を通して過去から前生、また将来も悟ることができるように、また病人だけでなく、その親、子供、配偶者のことまで悟ることができるようになってこそ、本当のおたすけができることになります。
身上を通して、事情も悟れてくるようにならねばいけません。心の種のまき方一つで、身上にも事情にも出てきますが、根は一つなので、運命は決まってしまいます。これぐらいですんで結構と喜べ、今苦しくてもこうして通れば先は結構と悟れれば、今の苦しみも軽くなります。たんのうの心で通れるようになります。
自分自身の心を変えれば、相手も変わります。それが分からないから、人を恨んだり、憎んだり、腹を立てたり、悲しんだりします。
病気はありがたいけれども、病気にならないものもまたありがたい。成っても結構、成らんでも結構、どちらも結構、と通れるのが陽気ぐらしでしょうね。いんねんの自覚ができれば一切がたんのうできます。喜べます。そこまでいかねば、信仰したかいがないのでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)