おさしづ配信

通り抜けようという精神

おさしづ配信

「最初にどうしょう知らんと言うと日を思えば、今日は何も言う事は無い。道という理を聞き容れず、代々通りたなれど、それ/\治まった理は天に受け取ってある。世界理で映さんならんから働いて居る。応報の理として許したる。さあ/\どんな事でもやり抜けようという、通り抜けようという精神さえあれば、どんな事でも、今日の日は通り抜けられるものである。」(明治32・8・5)

教祖ご在世中は、お道は人間の作った法律で規制されるようなものでなく、人間創った親神の教えであるから必要ないと、公認の手続きをしませんでした。そのため教祖は、十数度も警察署等に拘留され、ご苦労くださったのでした。
教祖がお姿をかくされてからは、応法の道として許されたのですが、明治二十九年の秘密訓令など、弾圧迫害は続きました。けれども、とうとう国家権力をもってしても潰し去ることはできず、さらに教勢の伸展さえ見られたのでした。
このおさしづのお言葉はそのとおりであり、心一つ、精神一つで、どんな中も通り抜けることができるのですね。ご本部にも、愛町にも、この愛与にも、いろいろのふしがあって、成り立ちゆかんのではと、危ぶまれた日が何度もあるのです。
お道の歴史だけでなく、個人の道すがらにも、通るに通れん、行くに行けんというようなふしは何度もあります。泣き面に蜂、ということがあったり、前門の虎、後門の狼、という場面にぶつかったりするものです。
こんな時、外部の事情よりも、わが心に渦巻くいんねんの心のほうが怖いものです。獅子身中の虫、という言葉があるように、どんなに大きい外の事情や身上よりも、小さな心の中のいんねん心、これが一命を落とす元になったり、倒産の元になったりします。
いろいろと心試しもされます。心はコロコロと変わりやすいので、なおさら、これでもか、これでもか、と試されます。その中、どうでもこうでも通り抜けようという心、これが動かなければ、しめたものです。
愛町の初代会長様は、困った時ほど、しまったと思う時ほど”しめた”と受け取り、”これを結構と言わずに何が結構か”と、断じて喜んで抜け切られたのでした。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)