おさしづ配信

飾りはいらん

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「何かの処飾り、内の飾りはすっきり要らん。道の飾り心の飾り理の飾りは、どうでもせにゃならん。破れ着物着て働け。…破れ着物を着て、ほんに計り難ないと思うやない。しっかり心を治めてくれ。」(明治40・1・20)

化粧でも、上っ面だけするのでは不十分でしょうね。心の化粧と形の化粧と相まって、本当の化粧が完成するのでしょうね。
普請もまた同じなのでしょう。内装よりも心の飾り、すなわち心の成人は「どうでもせにゃならん」とおっしゃっています。
「やぶれ着物着て働け」とは、実に積極的なお言葉ですが、破れたままで働け、とおっしゃっているのではありませんね。愛町の初代会長様も、つぎはぎだらけの着物を着て、おたすけに励まれた日は長かったと思われます。
神様は、運び損、尽くし損はさせん、とおっしゃいます。破れ着物着て、さんざんやり切った初代会長様が何よりの証人です。お通の人は、人並みに食べ、人並みに着て、人並みに眠っていては、なかなか徳は積めません。
僕が愛町分教会に五年間お世話になっていたころ、教会でバザーをやったことがありました。その時、詰所勤めAさんとTさんの二人が背広を買って、「これを着ておたすけをやってください」と、僕にプレゼントしてくださいました。愛町全体の中で僕を選んでくださったらしい。ろくな背広も持っていないのでは、と思ったのでしょうね。教祖や初代会長様のことを思えば、まだまだ僕なんか大名暮らしだ、と思いながらやっていたのですが、そうは見えなかったのでしょうか。
僕は、パンツ以外の着るものは一度も買ったことがないのです。不思議不思議と与わってくるのです。破れ着物をつくろってもらって着たこともありますが、少なかったでしょうね。もったいないことです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)