おさしづ配信

日々の心年々運ぶなら

おさしづ配信

「あの者ならほんになあというように、日々心に積んでくれるよう。日々の心年々運ぶなら、昼に昼、夜に夜次いで歩かいでも、日々人々あたゑある。…細い細い薄い薄い、これより掛かりてくれるなら不自由無い。」(明治30・11・18)

おかきさげに、
「心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理」と教えられています。
その日々の心、変わらぬ心をどこまでも、いついつまでも持ち続けて歩めば不自由はない、と言われています。
学問に王道なし、と言われるように、より良い人生を歩むにも特別な方法があるのではなく、真理は平凡なものであるとともに、厳しいものでもあります。
日々月々年々、定めた心、定めた事を断じて守っていき、だんだんとその行いを積み重ねていけば、不自由のないところへ行けるのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)