おさしづ配信

人間心と神の理

おさしづ配信

「人間心病み、人間の心を立てて、神の理そこ退け。そこで、どうもならん理になる。暗がりの理を以て通るから、暗がりになりたら足もと暗がりになる。…人間心立てて神の理薄なる。神の理薄なりて、何の守護有るか無いか、よう聞き分け。…一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。」(明治31・1・19)

風邪を引くのは身びいきの心が強いから、と教えていただきますが、このわが身かわいいという心はだれにでもあるので、日々はその心との闘いだと言ってもよいかもしれません。最初は負けるほうが多くても、だんだん勝つほうが多くなれば、先へ行くほど楽しみになります。陽気ぐらしに近づけます。
わが身かわいいの人間心を捨てるには、神一条のご用をさせていただくのが一番です。神様は、お前は神のことをせい、お前のことは神がする、とおっしゃってあり、お前は三つせい、神が七つ足して十にしてやる、とまで仰せくださっているのですから、実にありがたいことです。
社会を通っていると、骨折り損のくたびれもうけがいっぱいあります。道一条を通ったら、今は暗がり同然でも、先は明るく、断じて骨折り損は神様をさせてくださいません。人間心で通るのと、神の理を立てて通るのとの大きな違いです。
めへめへにいまさいよくばよき事と
をもふ心はみなちがうでな (おふでさき 三号33)
社会ではたいてい、先が見えないだけに、ついつい今だけを見て通りがちですが、今がいくら結構でも、先が暗がりでは不安が募るだけですね。
人間心は義理人情に弱いのですが、人間がこの世界と人間を創ったのではないのだから、神様の理を最優先にして立てていかないと、何一つ満足には通れなくなってしまいます。
愛町の初代会長様は、「何十年道をやり抜いてきても、たった一日勝手をやるとご破算になるよ、やり直しだよ。だから、勝手は怖いよ」とおっしゃいました。「千尋の谷の上を綱渡りするようなものだよ」とも。
Yさんは、教会役員としての五日勤め(注)を休んだことのない人でした。たまたま大風に屋根をこわされ、修理のため暇をもらって、初めて五日勤めを休んだのでした。そして、その日に交通事故に遭って出直してしまいました。
ちょいちょい勤めを外しても生きている人もありますが、たった一度、初めて外しただけで生命を落とす人もあります。一人一命ですから、比較はできにくいのですが、神一条のことには人間心を入れないで、ばかになってやり切るほうが賢明です。ばかが末の勝利、ですね。
(注)五日勤め…ようぼく以上で希望を申し出た者が、毎月五日間、愛町分教会に泊まり込みでご用をつとめること。神饌管理、会長室、庶務、接待、保安、整理、ようぼく修練場管理、信者会館管理、秘書課、お庭等の種類がある。役員は全員がつとめる。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)