おさしづ配信

急いたとて通れるものじゃない

おさしづ配信

「第一一時道に急いたとて通れるものじゃない。他に事情持って楽しむ事情、どれだけ急いたとて成るものじゃない。心を治めて居る。日々年限鮮やか。一日の日早く心の治め方、取り方、身の事情大層、一つ諭し置く。」(明治26・1・17)

いくら急いでも、限度があります。また、いつまでも続くものでなく、息が切れます。長い道中を通るには、荷を軽くし、心も軽く持って通らねばなりません。そんな意味のおさしづも出ています。だから、心の治め方、取り方は実に大事です。
本部員のある先生が、五人の子供を失ったことがありました。さすがにがっくりときて、家に閉じこもって、本部の務めも休んでいました。立派な先生が何人か励ましに行っても、心が勇めませんでした。
そこへ若手の先生が尋ね、教祖が次々と子供さんたちに先立たれ、まだ幼い外孫の眞之亮様を手元に呼んで仕込まれたひながたを、とつとつと話されました。するとその先生は、教祖と中山家の皆様のことをついつい忘れて、わが身の不幸にのみ心奪われていたことを申し訳なく思い、はらはらと涙をこぼされたのでした。そしてそれからは、教祖のひながたは私のために通ってくださったのだ、とまで考えられ、決然とお道のご用に復帰されたのでした。
常にひながたを身近に感じていれば、どんな通り道をもお通りくださってあるのだから、まねて通ればよいのです。本当にひながたはありがたいですね。
素直にひながたをまねて通っていく努力を重ねているうちに、だんだん年とともに、鮮やかな理を頂ける日も参ります。だから、決してあせらず、道中が長かろうと、楽しむ心を忘れずに通らせていただく心、これが大切ですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)