おさしづ配信

ひながた

おさしづ配信

「何も別段大層の事は要らん。元にひながた通りひながた通り、変わった事は要らん。…一手ひながた道があれば一手ひながた、振り変えばひながたと言わん。あちらこちら心のひながた出して、ひながたひながた変えて、いかなる理も治まりあろうまい。」(明治24・1・7)

釈迦もキリストも素晴らしいけれど、古今東西、世界中を見渡しても、教祖ほどの人は見当たりませんね。キリストがわずか三年の布教で伝えたものが、今日世界のどこへも伝わっているのも素晴らしいし、釈迦が悟りを開いてから約四十年教えを説いたのもまた素晴らしいのですが、教祖は五十年の長きにわたって、世界のあらゆる人々のために、こんな時はこんな心でこのようにしてと、身をもってひながたを残してくださいました。
釈迦やキリストは約二千年の間の人間の生き方の師表でしたが、教祖は、それより後の師表として、科学の進んだ社会にもなるほどと思わせる、いやそれを大きく超える世界のあることを、はっきりと承知させるだけの中身を持って出現してくださったのでした。
時代とともに変わるべきものもあるが、変わってならぬものもあります。教祖は、形と心と一つになって、かくあるべし、というひながたを示されました。今は振り替えの多い時代ですが、ひながたの振り替えはひながたにならないのですね。
教祖の五十年のひながたの中で、最も大事なものは何か?と考えたら、何があろうと、いついかなる時も、明るく陽気に勇んでお通りくださったことでしょうか。貧のどん底に落ちられたのも、執着を断ってこそ真の陽気ぐらしができることを身をもって示されたのでした。
ひながたの一つ一つを思い起こし、我が身と比べながら、一歩一歩ひながたに私がつく努力を続けたいものです。そんな人を1人でも多く育てさせていただきたいものです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)