往還道は通りよい、細い道は通り難くい。なれど、細い道は心に掛けて通るから、怪我はせん。大道はけつまずかにゃならん。けつまずくというは、心に油断するから怪我をする。(明治29・10・5)
困ってる時は一生懸命でも、それが解決して結構になってくると、おたすけもひのきしんも欠かすようになり、ふしをいただくまでずるずると通ってしまう人が多いですね。困ってる時は細道、結構になっている時は往還道なのです。
良くなれば良くなるほど、その恩返しになお励んだのが、愛町の初代会長様でした。この心があったら将来は絶対大丈夫です。先は明るいと言うことができます。逆に今がいくら結構でも、その心が無ければ先は暗闇と言うほかありません。
どうしようもない困った中を道のおかげで結構になっても、やがてその恩に慣れ、自分の力で今日があると錯覚し、社会への義理のほうを重んじ、そして身上を返した人があります。それは実に当然と言うほかありませんが、本人はなかなか気がつかぬものです。
困らないうちは気がつかないので、困らないことは困ったものです。それが長引くと、困ってからも悟れなくなります。そして、気がついた時は手遅れとなるケースが多いのです。信仰したかいがなくなり、残念なことです。
それでも本人はたすかったと思うこともあるのですが、世の中の人々は、「信仰していてもああなった、こうなった」と噂しますので、お道を広める邪魔になることがあります。おたすけしないことだけでも申し訳ないのに、おたすけの邪魔をして死んでいくのでは、来世も救われないのではないかとも考えられます。そんなケースはなくしたいものです。
自分のことは分からないものです。まわりにそんな人をなくしてあげるようなおたすけも大事ですので、広く伝えてください。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)