おさしづ配信

成らんもの救けるは台

おさしづ配信

「この道たすけが台。成らんものを救けるは台やと、…。皆扶け合い、そこで鮮やか成る。」(明治32・1・1)

「この道」とは、本当の人間の生き方であり通るべき道で、その土台となるものは、たすける心とその実行。これがなかったら、本当の人間ではないでしょうね。しかも、人間でたすけることのできないものをたすけるのが土台、とおっしゃっています。夫婦が、親子が、家族が、たすける者とたすけられる者とが、一つ心になったら、鮮やかにたすかるでしょうね。
元日のおさしづであることに注目してください。お道(天理教のこと)の者は、いや本当の人間とは、正月であろうとお盆であろうと、このたすける心を一日たりとも失ってはならないのですね。病気も災難も、盆だから、正月だからといって休んでくれません。いつ、だれがそうなるか分からないし、おたすけの心を外したら、悪いいんねんが自分に吹き出すかもしれないのですから。
しかし、現実には、盆や正月にはおたすけに訪ねることがはばかられる家が多いものです。そのような日には、病院へおたすけに出るのが一番です。家に帰れないで寂しがっている病人は、とても喜んでくれるものです。
このおさしづの少しあとに、「内々澄めば他人一つ鮮やか」とあります。内々とはもちろん家族のことで、家族の心が一手一つとなって、だれかをたすける心に澄み切ったなら、その他人が鮮やかにたすかると、はっきり請け合ってくださっています。
船場大教会の初代、梅谷四郎兵衛先生は、入信間もないころに教祖から、「夫婦そろうて信心しなされや」とお言葉を頂きました。先生はおたすけに出る時に、必ず奥さんに、おたすけ先の住所・氏名・年齢・病状を告げて行きました。奥さんは、今ごろはおさづけの取り次ぎのころだと思うと、添い願いをなさったのでした。
ふたりのこころををさめいよ
なにかのことをもあらはれる (四下り目 二ツ)
と、みかぐらうたにもありますが、さらに家族が一手一つになったら、鮮やかなご守護をもらいやすいということ、言うまでもないことですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)