おさしづ配信

たんのうは前生のさんげ

おさしづ配信

「身上不足でありながらたんのうは一寸には出けよまい。なれど世界事情を見て真実たんのうすればその理を受け取る。この理をよう聞き取ってくれ。たんのうは前生のさんげやと。」(明治23・12・27)

おたすけすればするほど、私ほど不幸な人はない、と思って嘆く人が世の中には実に多いことがわかります。そう言う人に出会わないのは、おたすけが足りないのです。また、心の中の悩みを打ち明けてもらえないからです。
その人の前に出ると、何となく悩みを打ち明けたくなる、という人にならないと、一人前のおたすけ人とは言えません。親にも、夫にも、あるいは妻にも言えないでいる悩みさえも、打ち明けてもらえるようになることです。
そうなるには、秘密を守る人でなければなりません。また、どんな悩みも解決してもらえそうな、信頼できる人だという感じを与える人にならねばなりません。自分の一切をさらけ出せる人であることも必要です。
おたすけに出て、思いもかけず、この人にもこんな悩みがあったのか、と驚き、それに比べたら私はまだまだ結構だ、と、しみじみ喜ばせていただくなら、それはたんのうの心に近いものでしょう。
前生いんねんの自覚から、いまの姿をありがたいと感謝できたら、それがたんのうなのでしょうね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)