おさしづ配信

天然自然

おさしづ配信

「天然自然の道というものは、一つ踏んだら一つ、二つ踏んだら二つ、三つ踏んだら三つ。これは一寸も動かん。」(明治20・7・26)

この宇宙を創って動かしている存在、これが親神様です。神は理で、「理が神である」(明治33・11・22)というお言葉もあります。理とはすなわち天理天則であり、真理であり、法則であり、摂理であります。
けれども、それだけでは言い尽くせないものが残ります。だから、親神様は、神のほかに、「月日」とも「をや」とも仰せくださいました。その「月日」とか「をや」という言葉で表される要素は、教祖以前の宗教ではだれも言っていません。
キリスト教も含めてセム系一神教の神には、超越的絶対神、万能の神、創造主といった傾向が強く、お道の親神様と共通するものが多いけれども、ちょいと違うものがありますね。
「月日」となれば、天然自然と近寄ります。天然自然すなわち神である、という考え方は東洋に多いのではないかと思われます。
お道が、他のすべての類似する宗教と特に違う一点は、「をや」とも表現される神の概念に違いないでしょう。この「をや」も、天然自然と一つになって、初めて親神様であるような感じもします。
ちょいと横道にそれてしまいましたが、天然自然も宇宙の真理も、親神様と一つなのですね。おさしづの言葉が、なるほど、となってきます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)