おさしづ配信

心の式

おさしづ配信

「一寸仮に大きい事してはならん。式という、心の式を行え行え。表の式は要らん。心の式を行えば、何も仔細は無い無い。」(明治34・12・21)

神一定の事一切は、心の成人につながっています。ところが、ややもすると形式に走りがちで、内実をおろそかにしてしまう場合があります。このおさしづの願意である学校の開校式といった行事に限らず、心すべきことで、それだけにこのお言葉には重みがあります。
おたすけでも、たすけたいという真実の心が抜けたら、たすかりたいという心だけが残り、形だけのおたすけになります。最初は形から始めて、だんだん心をつくっていくことも大切ですが、いつまでも形ばかりで心が伴っていかなければ用心すべきです。マンネリの怖さ、馴れ名人になる怖さに気づくことです。
お茶一つ入れるにも、心が入っているかどうかが大事です。形は作法に適っても、心が抜けたら値打ちが下がります。化粧をするにも、形や色や香りを工夫しますが、顔の化粧より心の化粧が大切で、心の持ち方で顔の相が変わっていきます。特に十代、二十代の若い人は化粧しなくても、素顔のままで美しい、と言われる人になってこそ、その心もまた美しいのだ、と認めてもらえると考えた方が良いでしょう。
神一条の事はなおさら、心をしっかりとこめて勤めさせていただくことが大事です。
(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)