おさしづ配信

陽気やしき

おさしづ配信

「悪風と言う、見る一つ間違い間違い理が、悪風となる。皆心を合わせ、このやしき勤め何と思うて居る。心真ぁ直ぐ極楽やしき、陽気やしき…。」(明治31・9・25)

ぢば・おやしきは極楽やしき、陽気やしきと言われる場所で、そこに住まう者は兄弟の中の兄弟と教えられます。そのぢばの出張り場所である教会も布教所も、同じように陽気やしきにならねばねばなりませんね。互い立て合いたすけ合いの場所に、です。ここに出入りする者、また住み込む者は、共に立っていく友達同士でなければなりません。
このおさしづを伺った増井りんさんは、大県大教会の礎をつくった方で、明治七年、両眼失明したところ、教理の角目を書いてもらったものを読んで、
「こうして教えの理を聞かしていただいた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。わが家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のために通らせていただきます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせていただきます」
と心定めして、三日三夜のお願いをし、不思議にも眼をたすけていただいたのでした。
この増井りんさんの言葉に、
「ひと言の教理のみやげが、時には医者の手余りをたすけ、人の心の立て替えをすることができます。どれほどの効能を生むやらわかりません」
というのがあります。お通のお話も、受ける側の心一つで重みが変わるのですね。教会やおぢばへ足を運ぶたびに、教理のみやげを持ち帰れば、それでどんどんおたすけができるのだと信じていただきたいものです。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)