おさしづ配信

一粒万倍

おさしづ配信

「道を開いて一人の理も治めてやったら、一軒なりと救けてやったら、一村なりと救けてやったら、世上世界にはそっからそこへ、枝から枝へ、枝がなんぼ咲くや知れん。…何とも無しに、結構に成ったら行こうかというようでは、盛んに成るか、大き成るか。この理を聞き分けてくれば、一切の理は皆分かる。…内に物が有っては邪魔になる。皆人に救けて了え。一粒万倍の理を聞き分け。皆種より生えて来る。天の理に凭れてするなら、怖き危なきは無い。」(おさしづ 明治23・6・29)

一人の人を真実たすけたなら、その人は考えも変わり、真実に目覚め、他の人にも助かっていただこうとするでしょう。その人の真実から家族全員がお道の人となれば、信仰はやがて一町一村に及び、一地方に広がり、さらに国全体にまで伸びることもあるのです。これは一粒万倍の姿と言えるでしょう。このお言葉は実に明快です。神様を信じ切り、もたれ切っていけば、できないことはないのですね。
真実のお道の人を一人ひとり、確実に育てていくことが、遠回りのようであっても、一番確かな道であって、一人ひとりに対して全力投球で、持っているものの一切を注ぎ尽くすつもりで育てさせていただくことが大切ですね。一人の人が魂から真実に目覚めていただくよう努力することです。

私の弟が頭を手術しました。その手術に八時間もかかりました。脳動脈にできた腫れ物が破れたのです。麻酔の覚め際はものすごく暴れて、それが二時間も続きましたので、安定剤を打って、ようやく眠りました。修養科を出てから二十七年にもなりますが、おたすけもせず、理も立てず、こっそり地所を買い求めて家の新築にかかっていたのです。そうした身上(病気)を頂いて、上棟式の時、初めて私にそのことを知らせました。やっぱり普請は節ですね。でも、よく生命を取り止めました。そんな信仰でも、お陰でたすけていただきました。本当は私の片腕となって、とうに道一条になっていなければならない魂なので、神様からお手入れを頂いたことになります。肝に銘じて理を軽くしないことですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)