おさしづ配信

神一条の道

おさしづ配信

「これから先は人間心をすっきり要らん。もうこれから神一条という道を立てにゃならん、立てささにゃならん。立てさして見せる。…どんな事もさしづ一つ理を以てするなら、どんな事も神一条の道を通るなら、通して見せる。」(明治22・10・23)

神一条とは、一切のことを神様の教えに照らして判断し、心を定め、その心を変えない通り方です。世界一れつたすけたい神様の思召に添って通ることです。
これから先は、神一条でない人間心は、すっきり要らん、と言われます。神一条という道を立てさせてみせる、と断言しておられます。
神一条の心には、どうしたらなれるのでしょう。心は「わがもの」と教えられるように、自由に使えますから、つい愚痴や不足が出たり、自分勝手な使い方をしてしまいがちです。そこで、人間の力ではどうにもならないことに出合ったり、また、それに気づかされた時、初めて神様にすがる心になります。だから、常に神様に近づく努力をし、お話も多く聴いて、心を神様の方に向けていないと、運命に負けてしまいます。
神様から遠ざかって、ウカウカして通っていると、十年、十五年も経ってから、いんねんに苦しまねばならぬことが起こってきます。そうなると、十五年の空白を埋めるのは大変ですから、その節から折れる、挫折してしまうことが多いのです。それを早く悟り、細くてもいいからコツコツと神様につないでいくことが大切なのです。そうでないと、あとで結局、損をします。
考えてみると、この道は、自分で通るのでなく、神様に通らせられていると言う方が真実かもしれません。自分で生きていると言うより、生かされているのが真実であるのと同じです。だから神様は、神一条という道を立てさせて見せる、と言われるのですね。
よくのこころをうちわすれ
とくとこころをさだめかけ(みかぐらうた八下り目四ッ)
と教えられていますから、自分を捨ててやり抜くことです。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)