おさしづ配信

困る元は勝手の心

おさしづ配信

所々名称々々数あるうち、最初一つの理より変わらん理で押せば変わらんなれど、どういう一つの事情より、めん/\勝手々々の理が出るからどうもならん。日々にもよう重々の理を諭せ。軽いものと思えば軽いもの、重いものと思えば何ぼでも重い。心に曇り跨りの理ありてはならん。日々互い/\の心を集めてくれるよう。(明治29・12・18)

身上や事情を頂いて困ることが起きてこないと始まらない人が多いのですが、困ってからでは遅くなったり、やるにもやれなくなったりしますので、その前に、何も困らぬうちに始めるほうがいいですね。
この布教所もふしを頂きました。これは一人ひとりのふしでもあります。そのふしから良い芽を出せでこそ、本当の信仰をたどっているということになります。今まではやらなくても通れた人たちが、これからもまた通れるはずはないので、うっかりしている人には知らせてあげてください。
定めた真実を変わることなく押していけば、どこまで行ってもご守護を変わりなく頂けますが、だんだん慣れっこになると、勝手を通りたくなり、心が曇ったり、迷ったり、案じたりして、困る種をこしらえてしまいがちです。
この勝手の心が獅子身中の虫であり、百獣の王も小さな虫のために生命を落とすこともあるのですから、油断がなりません。軽くできません。どうぞ、断じて勝手を許さん、と、自分に厳しく通ってください。でないと、悪いんねんに負ける日がきます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)