おさしづ配信

互い互い礼言うように

おさしづ配信

「育ても育て。綺麗にすれば綺麗になる。そらどうしたらいかん、こうしたらいかん、よう聞き分け。仕舞にいかんようになる。互い互い礼言うように成りてみよ。不足ある。丹精する。不足ありて丹精と言えるか。日々丹精という理に成りてくれ。日々皆礼言わにゃならん。」(明治32・10・1)

きちょうめんな人は、他人のアラが見えやすいので、どうしたらいかん、こうしたらいかんと、つい指図したくなり、思いどおりにならないと不足の心を起こしがちです。人の悪いところを直そうとするよりも、良いところを見つけて、それを伸ばそうとする”良いとこ取り”の心で相手を育てようと心がける必要があるのでしょう。
たとえ相手が変わらなくても、こちらの心を切り替えれば、喜びと感謝の心で相手に接することができるようになります。
お道の信仰は、お礼に始まりお礼に終わる、とも言われます。朝夕のおつとめも、月次祭も、神様への感謝のお礼の心でつとめます。神様に対してだけでなく、人にも常にお礼の気持ちを持って接すればいいのでしょうね。
袖すり合うも他生の縁、と言いますが、お道では、前生のいんねんを寄せて守護して下さる、と教えられます。どんな嫌な人でも、自分のいんねんを映し出してくれる恩人なのですから、神様が引き合わせて下さったのだ、と考えれば、喜べるはずなのです。
おぢばは、かんろだいを中心に、四方八方から拝み合うようになっています。世界中の人々がみな、互いに拝み合うような世の中にするのが、陽気ぐらしへの世界のふしんなのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)