おさしづ配信

成るもいんねん、成らんもいんねん

おさしづ配信

「成るもいんねん、成らんもいんねん。いんねん諭す処よう聞き分け。成るも成らんも、出来るも出来んもいんねん。いんねん以て世界集めたる理、これが分かれば鮮やか澄んである。」(明治25・9・28)

だれでも、こうなりたい、ああなりたい、と思うことがあるでしょう。しかし、そうはいかず、逆に、こうなりたくないと思うことが成ってくる場合があります。これは、いんねんなのですね。
前生・過去のいんねんを自覚しないのは、たとえば、崖っぷちに立っているようなものです。危ない所に立っていても、それがわからないのです。いんねんの自覚ができてこそ、たんのうの心もできてきます。そうすると心が澄んで、一切が見えてきます。
成るもいんねん、成らんもいんねん、と言われ、神はあると思えばある、ないと思えばない、となると、信仰とは何かがわからなくなる人もいるでしょう。要するに、この世の一切は、神様の守護の中にあり、天理天則によって一分一厘の狂いもなく動いているということです。
信仰も三代、四代になってくると、楽に通れるようにもなりますが、ある先生は、「大きな教会になればなるほど、後継者は布教して苦労しないと若死にする」と言われました。そうでないと、どんないんねんを見せられるかわかりません。代を重ねても、おたすけの苦労は、断じて欠かさぬ通り方が必要なのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)