おさしづ配信

楽しみの理

おさしづ配信

「どんな者も道具一つの理という。楽しみの理はささにゃならん。新しい道具はいついつまで。古き者は楽しみの理無うては何をしたのぞいなと言う。何をしたのぞいなと言う事ではどうもならん。楽しみの事情に理を渡さにゃならん。」(明治23・9・26)

「楽しみの理」とは、おさづけの理のことでしょう。お道で、まいた種が実ってくることとも考えられますね。おさづけの理を頂けば楽しみですが、頂いても使わなければ何をしてきたのか、ということになります。
おさづけを取り次がせていただくのを楽しみに、どうでもおたすけ先を探し出し、なにがなんでも、という心で通るべきですね。たすけずにはおかぬ、という心がなくてはなりません。
楽は苦の種、と言われます。だから、後で苦労するより、先に苦労しておく方がいいですね。お通では、難儀が結構、苦労が財産という心で通れば、先が楽しみになります。逆に、苦労を後回しにしておけば、いま苦労するよりも何倍もの苦労をしなければならなくなります。それでは損ですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)