おさしづ配信

案じると、育てると

おさしづ配信

案じるというは、真に受け取る理が分からんから案じる。(明治22・9・19)

足の障りはこれから先のことを教えられている場合があります。先々を案じてはいけないのですね。
先々たすけるためにお道に引き寄せてくださったのですから、素直な心さえあれば、先々たすかるに決まっているのです。
この世と人間をお創りくださった親なる神様がお連れ通りくださる道であること、しっかり受け取って、信じ切っていくなら、案じる心が出るはずがないのですね。

もう順序一人先に立って、後々育てるがこの道。日々兄弟の中、先を兄とす。(明治31・9・19)

顔を売って、人の先に立とうという人もいますが、年齢の順序よりも、お道を先に聞いた者が兄であり、姉であります。魂の徳による差も出たり、後の雁が先になることもあります。
おたすけをしてどんどん育てていけば、結局はその人が頭に立って、先ではあってもおたすけして育てない人が下にならねばならなくなることもあるでしょう。
ある布教所の所長さんを手引きした人は、おたすけをあまりしていないので、たくさんおたすけした所長さんの下にならねばならなくなりました。それでも、所長さんは、その人のいらっしゃる方には足を向けて寝ないようにしているそうです。元一日を忘れないで通っているから、理が立つのですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)