天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。(明治33年5月31日)
この道は天然自然の道である、とお聞かせくださる。人間の知恵や力で、どうこうと成ってくる道ではない、ということである。いいかえれば、ない人間ない世界をはじめかけてくだされた親神様が一切のはたらき、ご守護を下さっている世界である、ということである。
人間が生きていくうえで、どんな道中もある。いいときもあれば、都合の悪い、どうにもならんときもある。しかし、それもこれも、みんな親神様の思惑の中で起こってくることである。成ってきたことに神の思惑を悟って、間違いなく歩んでいくところに、振り返ってみれば、大過なく大きなご守護のもとにお連れ通りいただいたのやなあ、ということが分かるのである。
また、いろいろな出来事の中で、世上から見て、珍しいなあというようなことも、親神様がはたらいてくださっているなればこそである。それは「何処から眺めても成程」という治まり方である。こうした治まり方こそが大切である。天然自然とは、そういうように成り立ってくるものであると仰せられている。
無理やり自分の思いばかりを通そう、成らそうというのは、天然とはいえない。成るよう行くよう、内々それぞれを治めていくことが肝心である。「急いても出来ん、又しょうまいと思ても出来て来るは、天然の道と言う」とも仰せられる。
どうぞ目先のことにとらわれず、成ってくる理を明るく受けとめ、日々を楽しみの心でお通りくださるよう。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)
