おさしづ配信

誠一点持てば

おさしづ配信

自由という一つの理、同じ中/\自由と成る不思議聞き分けて置け。皆尽す一つの心によって出入り一つあれど、誠一点持てば、怖わき危なき事は無い。(明治23・8・23)

自由自在に通れるようになるには、どうしたらよいのか。このことについてのおさしづは、すでに紹介しました。
「不思議不思議と成ってくるよ」と、愛町の初代会長様はよくおっしゃいましたが、その不思議を頂くには、人はまず、ばかになることが必要です。「ばかになるんだよ、ばかになるんだよ。ばかが末の勝利だよ」とも、よくおっしゃいました。
ばかになるとは、自分考えを、人間思案を捨てることですね。自分が無になれば、神様がお入り込みくださいます。
別席を運び、あるいは修養科を出て、おさづけの理を拝戴した人は、ようぼくと呼ばれますが、そのようぼくに下されたおふでさきがあります。
たん/\とよふぼくにてハこのよふを
はしめたをやがみな入こむで (十五号 60)
このよふをはじめたをやか入こめば
どんな事をばするやしれんで (十五号 61)
誠についても、おさしづの中には実に多く言及されていますね。おかきさげにも出てきます。ここで繰り返すことは省略しますが、とにかく誠の心一つあるならば、何事についても、怖いことも、危ないこともない、とおっしゃっています。
それを信じて、特におたすけに励んでいただきたいものです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)