どんな事あっても付け掛けた道は八方付ける。どんな事でも、しょうと言うたら出けるやろ。今日はなあ/\よかったなあと言うて、十分日を送りたる。後々こうという理を寄せて、心の理が寄ればどんな事でも出ける。心の理が寄らねば出けん。人間心で運んだ処が出けやせん。(明治39年5月1日)
ものごとを進めていく場合、大事なのは、みんなの心が寄る、ということである。皆の心が寄らなければ、ものごとは成ってこない。とくに道のうえにおいては、なおさらである。
物やお金で事を進めるのでなく、「心の道」とも仰せになるだけに、人の心こそが何よりも大切である。みんなの心が寄らなければ、何かを進めようと思っても、決してできるものでない。
親神様が一番望まれているのは、みんなの心を寄せて進めてもらいたいということである。しかしながら、それが難しいのである。すなわち、そこに意見の違い、それぞれの思惑があって、なかなか一つになれない。けれども、ともかくも親神様の思い一つになら、心を寄せていくことはできる。神の思いに多少届かないものがあったとしても、寄った皆の心に親神様ははたらいてくださることも多い。それは、人間が可愛いという親神様の思いがあればこそなのである。
そこを間違って、わが身勝手な人間心から進めようとすると、それは成る話ではなくなる。
「どんな事あっても付け掛けた道は八方付ける」と仰せになるが、親神様の思い一つに心を寄せていくところ、どんなご守護もお見せいただくのである。
お互い銘々の心が一つになるところ、親神様はどんなはたらきを見せてくださるのか、楽しみである。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)
