だん/\一つ理が分かれば分かりもあろう。分からず道でない。身の処一寸どうや知らん、尋ね話聞く。どういう処話、成程の話、道なる処、年々見える。天然自然の治め。(明治20・12・2)
歯は上と下と合ってこそ噛むことができます。歯の障りは家庭の治めを教えられていますが、神様と人間とかち合わぬ場合もまた教えられること、もちろんです。親と子、夫と妻、兄弟姉妹がしっくりしない時、教えられることが多いのですね。
噛みしめて聞くということも大事ですね。食物は噛みいめて食べないと胃腸を痛めたりしますか、心の糧となるお話も噛みしめて聞かないと、精神の消化不良を起こして困ることになります。
いくらあせっても分からないものは分からない。年限と共に、数多く話を聞くうちにだんだん分かって、なるほどと思うようになるのだから、天然自然にまかせて行けば治まるでしょう。
地団駄踏んで、あるいは歯ぎしりして悔しがったりすることもあります。気が強くて恨み残念をかけたことをお詫びして、治る人もあります。勝ち気が強いとそんなことになりやすいので、負けるが勝ちの、ゆとりのある心を持てるようになることも大切ですね。
歯の丈夫な人・弱い人は、カルシウム分の取り方で決まりますが、心の使い方とも深くかかわっています。歯にも、前歯あり、奥歯あり、また上下ありで、その場所によって、心の使い方や運命のかかわり方を教えていただけるのですね。歯並びの良い人・悪い人、歯の隙間のあり方によっても教えていただきます。歯を見てその人の性格を悟り、運命を悟ることができるとしたら、歯も大事ですね。
下の歯がそろって丈夫なら、目上の人に合わせるのが上手で、食うに困らぬ運命だそうです。反対に下の歯が不ぞろいの人は、目上の人に合わせることに気をつけないと、食うに困るようになるし、目下に情をかけすぎると目下の人を損ねてしまいます。
数多くおたすけさせていただいて、間違いのない理をはっきりとつかませていただくと、面白くなってきます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)