おさしづ配信

難しい道

おさしづ配信

この道というはなか/\難しい道である。難しい、どうも難しい。何も難しい事やない。このくらい楽な事は無いなれど、皆心が難しいのや。(明治31年6月2日)

このお道を通らせていただくについて、あれこれ考えると難しいことが多いように思えてくる。主人や家内のこと。また子供たち、親、親戚のこと。会社のこと。やれ近所のこと。はては、家の経済のこと、人がどう言うやら、などと考えていると、なかなか難しい。親神様も「どうも難しい」とおっしゃっている。
しかし、また「何も難しい事やない」とも仰せになる。つまり、人間思案であれこれと考えれば考えるほど、難しいように思えることであっても、それは実は、みんな自分の心が難しくしているのや、といわれる。
自分の心さえ少し向きを変えれば、なんでもないことであるのに、そのことに気づかず、時には変に意地をはって、ますます事態を難しくしてしまう。いわば自分で自分を苦しめている、ということになる。
この信仰の道は、親神様を信じ、おやさまのひながたを目標に通らせていただくとき、「このくらい楽な事は無い」のであって、いらぬ人間思案が難しくしている、ということである。
すれば、どこまでも親神様に凭れて、親神様を信じて、御教えのままに通らせていただく誠真実の歩みによって、いかに難しいと思われる事態も開けてくるのである。このことを「あちらから見てもこちらから見ても成程、という理より治まる理は無い」といわれるのである。
さあ、どこまでも勇んで通らせていただこう。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)