おさしづ配信

満足集まって道と言う

おさしづ配信

皆遠く所から厭わずして来る心だけ受け取って、十分満足与えてやらにゃならん。満足すれば一所やない。世界に映る。不足で行く/\すれば、理が消えて了う。何処までも皆々満足集まって道と言う。(明治37年2月6日)

ちばへちばへと、遠きを厭わず心を寄せ、運ぶ信者に対する心得をいわれた。厭わずに運び尽くす者たちの心を受け取って、十分に満足を与えることが肝心である、との仰せである。
満足を与えれば、それは一所、すなわち、その人だけにとどまっているものではない。「世界に映る」といわれるのである。ならばこそ、その満足は次の満足を呼び、満足の輪が広がっていくことになる。結構やなあと尽くし運び、それを結構やなあと受け取って、その心に応えていくところ、満足が集まることになる。そこにこそ、お道のお道たる所以がある。
もし、運んだ者に不足の心が出てくるならば、運んでくる理が消えてしまうことになる。それだけに、尽くし運んでくる者に、何よりも大きな喜びの心をもって、満足という理を与えることである。親たる立場にある者が、うっかりとして、運び尽くす心に応えるものがなければ、とんでもないことになる。
それは何か特別な態度、心構えを要求されるものではない。ごく当たり前の、ちょっとしたことでよいのである。小さな運びも大きく受け、喜びの心を表していくことである。それでこそ、運んだ理が生きてくる。
一方、運ぶ者も、いろいろなことがあっても、満足の心をもつことである。「満足の理から芽が吹くで」と教えられる。つまり、銘々お互いが、さらに喜びに満ちた暮らしをさせていただけるし、また、この道の新たな芽吹きをも見せていただけるのである。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)