おさしづ配信

細道が通りようて往還通り難くい

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細道が通りようて往還通り難くい。何でやと思う。細道一人の往還世界の道。……日々の道を通ろうと思うては、人を毀ったり悪く言うてはどうもならん。人を毀って、何ぼ道を神が付けても、毀つから道を無いようにするのやで。(明治25年2月6日)

細道は通りやすく、往還道は通りにくい、というのは、一つには、細道を通る人は注意しながら歩くので、案外すっと通っていく。ところが往還道は広い。だから、歩くときに注意が散漫になって、かえって事故に遭ったりすることがある。
同様に、何かを目指して苦労を重ねているときには、いろいろなことがあっても、ただその目標となる一点を見つめて、ひたすらに歩む。ところが、目標が実現して、その達成感から、やれやれと安心していると、そこに油断が生まれてくる。だから難しいといわれるのである。
もう一つは、ここでいわれるような別の意味が考えられている。
細道は一人の道であるから、人のことをとやかく言うこともない。しかし、往還道は世界の道。すなわち、いろいろな人と共に歩んでいくことになる。だから難しいのである、と。
人さまにたすかっていただきたいばかりに、また、この道を思えばこそ、ああだ、こうだと言うことになる。しかし、そこである。その場合、人の悪口に終始してしまっていないだろうか。親神様は、それではどうもならない、それは人を毀ってしまうことになるぞ、といわれている。
自分にとって嫌な人、都合の悪い人がいても、その人たちも共に通っているから、往還道なのである。その人たちを排除しようとすればするほど、道は細々とした道になる。そんなことでは日々の道を歩むことはできず、「何ぼ道を神が付けても、毀つから道を無いようにするのやで」と仰せになるのである。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)