最初掛かりというものは荒ら家同様、何処から取り掛かろうか、こヽから取り掛かろうか。それ一つ道は付ける、……草生え何処にあろうまい。ほんの草生えの中、一時定めたる並大抵やない。今日の日通り通したる理によって、天然のあたゑと言う。(明治26年12月4日)
このお言葉は、本席飯降伊蔵先生が新しい家に引き移られたときのものである。おやさまは「月日のやしろ」とお定まりになられてから、母屋を売り払い、土地も手放されて、貧のどん底に落ちきられた。寄り来る人とてなく、うっそうとした竹やぶがそばにあるだけの、それこそ、あばら家同然のところに住まいをなさっていた。
けれども、その中にあって、親神様の教えを厳然として伝えられ、次第に不思議なたすけを現されるようになった。そのたすけを求めて、人々が寄り来るようになったのは、二十数年の年月が経ってからのことである。
だからといって、お住まいは相変わらずで、食べるものとて十分にあったわけではない。まさに「草生えの中」そのものであった。そんなところに、妻の産後の患いをたすけられた飯降先生が、その誠の心を見定められて、おやしきに一家揃うて伏せ込まれることになる。「子供がたくさんあり、みんなに世話をかけるし、また人から何を言われるかもしれん」という中であった。そうした日々を通りきられた理によって、結構な「あたゑ」を頂かれたのである。
「これまでよう/\長い間の道すがら嬉しい事やなあ/\。頼もしい事や、嬉しい事や。これまでどんな日もあったやろう。まああたゑ/\、一粒万倍と言う」(明治26・2・3)
お互いに、どんな中も、親神様を信じて通りきらせていただこう。その先には、一粒万倍の楽しみがある。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)
