おさしづ配信

旬が来にゃ咲きはせん

おさしづ配信

花の咲く旬、何ぼどうしたて、旬が来にゃ咲きはせん。風が吹く、雨と天気と待つけれど、大風だけはどんな者でも風は待たん。危なき道があるからちゃんと聞かしてある。(明治24年5月15日)

ものごとが成ってくると、やれやれこれで安心だ、春が来たと思うのは人の常である。しかし、それがまたいつまでも続くものでないことも事実である。必ずしも春のような季節ばかりではない。春だと思っていても、風が吹くときも雨が降ることもある。人は、晴天が続けば雨が欲しいな、雨が続けば天気を、と心待ちにすることもあるが、大風だけは誰も期待する者はない。それは何もかも、めちゃくちゃにしてしまうからである。それを放っておけば危なき道になる。だから、それに対してどうすればいいか、ということはすでに聞かしてある、といわれる。
これは、お道が破竹の勢いで伸び、教祖五年祭も盛大のうちに終わったという当時の状況の中で、お道に反対攻撃をしてくる社会の動きがあり、それに心を動かされる人たちがいることに注意を促されたものである。
大風が吹いているのに、いつまでも春のように思って薄着でいては、風邪を引いたり、時には、重い病になったりすることにたとえられよう。まわりの様子、成ってくる姿を見つめ、それに相応しい心のありようをもつことが大切である。
お道の信仰の値打ちは、真にたすかる身の処し方を教えてくださっている、ということである。人間的力を過信して、わしが、俺がと言うたところで、旬が来なければ花は咲かないのである。真冬にTシャツ一枚で過ごす愚を犯すことのないように、すべては親神様のおはたらきのうちであるという、謙虚な気持ちをもつこと。
ただ、おやさまの指し示してくださる道を真っ直ぐに歩むことである。そこに危ない道を避けることができ、やがて「春は春」という旬がめぐってくる。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)