おさしづ配信

心先々深く長く楽しみ

おさしづ配信

何程暇要りたとて年限の理、心先々深く長く楽しみ。急く事要らん。一名一人の心成程、返し/\諭し、善き一つの世界、又々世界月々年限、出すもの出すがよい。(明治24年6月15日)

ものごとを進めていくうえでの心得を仰せになったお言葉である。
自分は間違いのない正しいことをやろうとしている、と思うときほど、思うように成らないと焦る気持ちが出てくる。短時日での結果を求めようとする気持ちが強くなる。 また、反対の声があがろうものなら、周りの人たちに対して、何を考えてるのや、とばかりに、不足の心が出てきたりする。
けれども、大事なことは、どれだけ時間がかかっても、それをやり遂げていこうとする心をもち続けることである。それには年限ということが、たいへん重要である、といわれる。年限をかけて、じっくりと進めていくことである。
樹木がどっしりと根づいた大木になるには、数十年、いや百年単位で見なければならない。そこまではともかくとしても、立教の元一日を思い起こすとき、親神様は「二十年三十年経ったなれば、皆の者成程と思う日が来る程に」と仰せになっていることからすると、ものごとが成ってくるには、二十年から三十年の年限を見ることが必要であろう。 そして、その道中の先々において、深く、長く、楽しみの心をもって焦らないことである。
その間、それぞれが、なるほどそうなのかと思ってもらえるように、また誠の心をもって、なるほどの人になっていくことである。そのためには、お互いに繰り返し、諭し合って通ることである。そこに善き世界が生まれてくる。
人々は、どうかすると結果ばかりを求める。あるいは、反対する力に対して、極端なまでに不安を抱くことも多い。そうしたときほど、親神様にしっかりと凭れて、長く楽しみの心をもって通る気持ちを忘れてはならない。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)