おさしづ配信

成ると成らんと理聞き分け

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長い一つ遥か順序持ってくれ。一時仕切りてこうと言えば、心病まんならん。これからというさしづから理に基づき、楽しんで運ぶ心持てば、何がどう彼がどうと言う事は無い。これからという心治まれば、成ると成らんと理聞き分け。心理を病まんよう。成らんにゃ成らん、成れば成る。心皆治まる道という。 (明治32年2月27日)

ものごとが成ってくる、あるいは思うように成ってこない。こうしたことは、私たちの日常生活の中で、いくらでもある。
思うように成ってこないことが続くと、いったいどうなっているのかと、社会に不満をぶつけたり、あげくに、あいつがこうだから成ってこないのだと、人のせいにしてしまうことが往々にしてあるのではないだろうか。
まして、それが自分の人生にとって重大なかかわりがあり、思うように成らないことが幾度か続けば、人によっては、どうにもならなくなって、生きることに意味を見いだせず、あげくにノイローゼになったりすることもある。そうしたことを、親神様は「一時仕切りてこうと言えば、心病まんならん」と仰せになっている。
こうしたとき、大事なことは「先々長い」と、「長い一つ遥か順序」をもつことである。つまり、いまだけのことにとらわれるのでなく、これからなんだ、という気持ちで進むことである。 といって、ただ漠然と、これからだと思っていたところ で、先の展望は開けない。
そこに、親神様の話を聞かせていただき、「成ると成らんと理聞き分け」て、「楽しんで運ぶ心」をもつことである、といわれる。「成らんにゃ成らん、成れば成る」の心、すなわち、一切は親神様のご守護の世界であることに思いを致して、日々を明るく通らせていただくことである。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)