おさしづ配信

おさづけの理

おさしづ配信

「さあさあだんだん尽くし長らえて一つ事情、元々に聞いたる話、国所に一つの理も無けらならん。日々の理を負い、順々の理を追い、こうのうを渡し置こう。さあさあさづけをさづけを。あしきはらへたすけたまへ天理王命、これ三遍唱え、又三遍、又三遍、三三の理を授けよう。しいかり受け取れ、さあ受け取れ。」(明治21・8・28)

おさづけの理は、昔は神様の方から突然下さることもあり、また願い出ても、なかなか頂けないこともあったようです。今日では、九度の別席を運びさえすれば、だれでも頂けるのですが、だからと言って軽く受けてはいけませんね。
教祖五十年のひながたの道で、最も心をかけられたのは「かぐらづとめ」の完成と、このおさづけの理を早く渡したいということでした。
「身の内かしもの・かりもの」「心一つがわがの理」という教えをしっかり感得するには、やはり、体に不思議を体験させていただくのが一番の近道です。ようぼくの第一の務めは、何と言っても、おさづけの取り次ぎですから、取り次がせていただく相手を草の根分けても探し出そうと、毎日、心がけるのが本当です。それでも見つからない時は病院に行けばいいのです。私もよく病院を回ったものでした。
病院でおたすけをするには、医師や看護婦に信用されるものがなくてはなりません。初めのうちは、もちろん信用してくれません。いろいろ嫌な目にも遭わなければなりません。その中を、誠真実で通うことですね。
ようぼくの第二の務めは、世の人に、この道が単に宗教の一つということではなく、この世と人間を創られた親なる神様が、一人ひとりの魂を見定めて引き寄せ、付けられた道であることをわかってもらうことです。この一番の道も、おさづけの取り次ぎであることは言うまでもありません。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)