おさしづ配信

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一度定めた理は末代の理

道のため教一つの理を聞いて定めた精神一つの理は末代という。この理をしっかり心に治め、辺所立ち越す処、勇んで勇んでどういう事もこういう事も、一度定めた理は末代の理という。(明治30・7・16)
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たすけと言えば、皆修理肥やしの理

たすけと言えば、皆修理肥やしの理である。一寸には救けるようなもの、肥をするようなもの。だんだんの肥を置く、根が差す、芽が吹く、芽が出る、又芽が出るようなもの。成るだけ尽くして一時どんならんという。運び掛けたる処、一時早く事情、早く肥をしてやるがよい。どんな芽が吹くやらこれ知れん。(明治23・7・1)
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親となれば子は可愛というもの

古き者は親と思え。親となれば子は可愛というもの。皆満足をさして治めにゃならん。子供は子供だけの事。腹を立てては、親であらせん。親となれば子を可愛との心にならねばならん。子を憎む心では親でない。(明治21・6・30)
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一粒万倍

「道を開いて一人の理も治めてやったら、一軒なりと救けてやったら、一村なりと救けてやったら、世上世界にはそっからそこへ、枝から枝へ、枝が何ぼ咲くや知れん。… 内に物が有っては邪魔になる。皆人に救けて了え。一粒万倍の理を聞き分け。皆種より生えて来る。天の理に凭れてするなら、怖わき危なきは無い。」(おさしづ 明治23年6月29日)。